北方領土の日
- hokkaidosouzoku
- 2月7日
- 読了時間: 2分
さて、本日2月7日は「北方領土の日」です。朝から、北方領土返還要求の署名活動のお手伝いに参加しました。
実は、北方領土は私の家族にとって、決して他人事ではありません。父、祖父、そして当時の家族全員が、北方領土・多楽島で生活していました。
私の家系をさかのぼると、もともとは岡山県津山にルーツがあり、日下部という姓でした。その後、曽祖父が橋本家に養子として入り、屯田兵として旭川永山(当時の上川郡永山村)に入植します。祖父は教育の道に進み、学校の校長として、家族を連れて多楽島へ渡りました。そして父は、昭和15年12月、多楽島で生まれています。
昭和20年、ポツダム宣言後。ソ連軍が北方四島へ侵攻を開始しました。終戦直後にもかかわらず、島の学校の校長であった祖父のもとには、いち早くその情報が届いたそうです。
祖父は、家族総勢10人を連れ、急ぎ島からの脱出を決断しました。父は8人兄弟で、そのすぐ下の弟は生まれて間もなく亡くなり、今も島にお墓があると聞いています。
当時は小さな島でしたが、漁業で生計を立てていたため、各家庭に船があったそうです。その船での脱出中、ソ連艦隊とすれ違うという、今考えると非常に危険な状況だったと聞いています。
父は当時4歳。甲板の下に潜り込み、ハッチを少しだけ持ち上げて外の様子をうかがい、すぐにまた潜る――そんな様子を、後年、叔母から聞きました。父自身からこの話を聞くことは一度もありませんでしたが、幼い子どもにとって、強烈な記憶だったのかもしれません。
ソ連の船も双眼鏡でこちらを確認していたようですが、結果的に何事もなく通過できたそうです。叔母は「見逃してくれたのだと思う」と話していました。もしあの時、撃沈されていたとしたら――私はもちろん、私の子どもたちも、この世に存在していなかったでしょう。
今日は、歴史の中の一日であると同時に、私自身の家族の歴史をあらためて考える節目の日でもあります。
ちなみに会場には知事も来られており、マスコットキャラクターと写真を撮って帰りました。
私はというと、屋外でひたすら「北方領土返還要求署名活動をしております。ご協力よろしくお願いいたします!」と、録音テープのように繰り返していました。物干し竿の販売車のように、無心でひたすら…。足の裏がとにかく冷たかったです。
#千島連盟#北方領土の日








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